古代史においては、「任那四県割譲」という国際的な汚職事件がありました
継体天皇は、512年、穂積臣押山を百済に使者として派遣しました。
百済が上哆嘲、下哆嘲、娑陀、牟婁の4県を欲しいと要請し、その当時、哆唎の国守であった穂積臣押山は、「これらの地域は日本から遠くて百済に近く、到底維持し難いから百済の望みに任せた方がよい」として4県を百済に割譲するように説得しました。大和朝廷における最高執政官であった大伴大連金村はすぐに継体天皇からの勅を得て、百済に任那4県を割譲しました。
しかし、この件については、すぐに穂積臣押山と大伴大連金村が百済から賄賂を受けていた受けたという噂が広がり、その後、大伴金村は、物部尾輿から朝鮮半島政策の失敗を弾劾されて失脚しました。

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