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  • 養老律令①:有所請求条

     養老律令の「職制律」は、まず主司(担当官)に対して法を曲げることを請託したが、賄賂の授受が行われていない場合を賄賂罪の基本形として定めています。

    凡有所請求者、笞五十。(謂従主司求曲法之事。)〔謂凡是公事。各依正理。輙有請求。規為曲法者。〕[1](即為人請、与自請同。)〔謂為人請求者、雖非己事。与自請同。〕[2]主司許者、与同罪。〔謂然其所請之事者。〕[3](主司不許、及請求者、皆不坐。)〔謂主司不許曲法請求之人、皆不合坐。〕[4]乖已施行者、各杖一百。〔謂曲法之事已行。主司及請求之者、各杖一百。本罪仍在。〕[5]所枉罪重者、主司者、以出入人罪論。〔謂所司得属請枉断事。重於百杖者。主司得出入人罪論。假如先是一年徒罪。属請免徒、主司得出入徒罪。還得一年徒坐。〕[6]他人及親属為請求、減主司罪三等。〔若他人及親属為属請。免徒一年、減主司罪三等。唯合杖八十。此則減罪軽於已施行杖一百。如此之類皆依杖一百科之若他人親属等属請徒二年半罪。主司曲為断免者他人等減三等。乃合徒一年。如此之類。減罪重於杖一年者皆従減科。〕[7]自請求者、加本罪一等。〔謂身自請求、而得枉法者、各加所請求罪一等科之。〕[8]即監臨、勢要〔勢要者、雖官卑亦同。謂除監臨已外、田但是官人。不限官位高下。唯拠主司畏懼。不敢乘違者。〕[9]為人属請派者、杖一百。〔謂為人属請曲法者。無問行与不行。許与不許。但属即合杖一百。主司許者、笞五十。〕[10]所枉重者、罪与主司同。〔謂所枉重於杖一百。与主司出入坐同。〕[11]至死減一等。〔主司処法合死者。監臨勢要減死一等。〕[12]

    【現代語訳】

     主司(担当官)に対して法を曲げることを請託すれば、笞50回の刑に処する。他人のために請託した場合も、自ら請託した場合と同じである。主司が法を曲げることに応じた場合、同じ刑に処する。主司が応じなかった場合、主司も請託者も罰しない。法を曲げた場合、主司と請託者をそれぞれ杖100回の刑に処する。法を曲げる罪が重い場合、出入人罪をもって論ぜよ(官司がことさらに軽く又は重く断罪したときの罰則(断獄律19)をそのまま適用する。例えば、徒1年を請求により法を曲げて免除した場合、主司は出入人罪の徒1年に処する)。他人や親族が請託した場合、主司の刑から三等を減じる(ただし、三等を減じた刑が杖100回より軽い場合は杖100回に処する)。自ら請託した場合、本罪に一等を加える。 監臨(支配・監督の地位にある官人)や勢要(監臨の地位にはないが、主司に対して影響力を持つ官人。勢要は、官職が低い者であっても同じである)が、他人のために請託した場合、杖打ち100回の刑に処する。法を曲げる罪が重い場合、主司と同じ刑(出入人罪)に処する。主司が死罪に当たる場合、監臨や勢要は一等を減じる。


    [1] およそ公務はすべて正しい道理に従うべきである。もし軽々しく請託し、法を曲げようとする者がいた場合をいう。

    [2] 他人のために請託した者は、たとえ自分の事案でなくても、自ら請託した場合と同様に扱われる。

    [3] しかし、その請託の内容については

    [4] 主官が法を曲げるような請託を許可しなかった場合、請託した者も含め、誰も罪に問われることはない。

    [5] もし法を曲げる行為がすでに実行された場合、主官および請託した者はそれぞれ杖刑100回に処される。ただし、本来の罪も依然としてそのまま残る。

    [6] 所管の官吏が関係者の請託を受け入れ、不正な判決を下した場合、その罪が百回の杖刑以上の重罪であれば、主官(判決を下す立場の者)は刑の軽減や加重を行った罪に問われる。例えば、もともと一年間の徒刑(強制労働刑)が科されるべき案件において、関係者の請託によって徒刑を免除した場合、主官は徒刑の減免を行った罪に問われ、結果として自身が一年間の徒刑に処されることになる。

    [7] もし他人や親族が請託し、その結果として本来の刑罰である徒刑1年が免除された場合、主官(判決を下した者)の罪は3等級減じられ、本来受けるべき刑罰は杖80回となる。これはすでに執行された杖100回の刑罰より軽減される。このような場合はすべて、杖100回を基準として処理される。また、もし他人や親族が請託し、本来2年半の徒刑に処されるべき罪を、主官が不当に判決を操作して免除した場合、請託した者の罪も3等級減じられ、結果として徒刑1年に相当する刑罰となる。このように、減刑の結果として徒刑1年以上の重罪になる場合は、すべて減刑の基準に従って処罰が科される。

    [8] もし自ら請託し、その結果として法を曲げることが行われた場合、それぞれ請託による罪に対して一等加えて処罰される。

    [9] 監督官を除き、田地を所有する者が官吏である場合、その官位の高低に関わらず制限はない。ただし、主官が畏れを抱き、敢えて違反しない者に限る。

    [10] もし他人のために請託し、法を曲げようとする者がいれば、その請託が実行されたか否か、許可されたか否かに関わらず、請託した時点で杖刑100回に処される。もし主官がそれを許可した場合は、笞刑50回に処される。

    [11] もし不正行為が杖刑100回を超える重罪に当たる場合は、主官が刑の軽減や加重を行った場合と同様に処罰される。

    [12] 主官が処罰として死刑に相当する場合でも、監督官や権勢のある者は死刑より一等減じられる。

  • 養老律令

     養老律令は、藤原不比等を中心として編纂が行われ、養老2年(718年)に律令各10巻が選定されたとされています(「弘仁格式序」)。藤原不比等の孫である首皇子(おびとのみこ)(後の聖武天皇)の即位を念頭に置いたものと考えられます。養老律令は、以下の6種類の賄賂罪を規定していますので、それぞれ紹介されていただきます。

    ①有所請求条(枉法を請託したが賄賂を授受していない場合)

    ②受入財請求条(他人の財を受けて、枉法を請託した場合)

    ③有事以財行求条(贈賄をして枉法を請託した場合)

    ④監臨受財枉法条(監臨之官が特定の事案の判断に関して事前に賄賂を収受した場合)

    ⑤事過後受財条(特定の事案の判断に関連して事後に賄賂を収受した場合)

    ⑥受所監臨財物条(特定の事案の判断に関係なく監臨内の財物を受け取った場合)

  • 律令時代の賄賂罪

     律令時代には、「近江令」、「飛鳥浄御原令」、「大宝律令」、「養老律令」が編纂・施行されたとされていますが、「養老律令」しか原文が伝わっていないため、その実在性については様々な議論があります。

     私は、素人なので、そこは深入りせず、「養老律令」の賄賂罪の規制を紹介したいと思います。  

     律令の歴史については、色々な文献がありますが、古代史マニアの私としては、井上光貞「日本律令の成立とその注釈書」(「日本思想体系3律令」岩波書店(1976))を一読することをお勧めします。

  • 律令時代の賄賂罪

     日本においては、大化の改新以降、約半世紀という短期間のうちに、中国の律令の継受が行われ、「近江令」、「飛鳥浄御原令」、「大宝律令」、「養老律令」が編纂・施行されました。ここでは、律令時代における賄賂罪の規制を紹介いたします。

     律令時代の法制に関する文献は多数あり、下記のような文献を参照させていただきました。

    • 小林宏「律条拾葉」(「國學院法学」11巻3号(1974))
    • 井上光貞「日本律令の成立とその注釈書」(「日本思想体系3律令」岩波書店(1976))
    • 長谷川彰「日本律成立過程における継受法と固有法」(「法學研究:法律・政治・社会」64巻1号 慶應義塾大学法学研究会(1991))
    • 冨谷至「儀禮と刑罰のはざま-賄賂罪の變遷-」(「東洋史研究」66巻2号(2007))
    • 唐律疏義講読会「『唐律疏義』断獄律現代語訳稿(上)(下)」(「金沢法学」55巻2号(2012)、57巻1号(2014))
    • 上野利三「大宝律復元考: 養老律より唐律に近似する条項、及び未復元条項を含む律条」(「法學研究:法律・政治・社会」93巻10号慶應義塾大学法学研究会(2020)
  • 任那四県割譲事件

    古代史においては、「任那四県割譲」という国際的な汚職事件がありました

    継体天皇は、512年、穂積臣押山を百済に使者として派遣しました。

    百済が上哆嘲(おこしたり)下哆嘲(あろしたり)娑陀(さだ)牟婁(むろ)の4県を欲しいと要請し、その当時、哆唎の国守であった穂積臣押山は、「これらの地域は日本から遠くて百済に近く、到底維持し難いから百済の望みに任せた方がよい」として4県を百済に割譲するように説得しました。大和朝廷における最高執政官であった大伴大連金村はすぐに継体天皇からの勅を得て、百済に任那4県を割譲しました。

    しかし、この件については、すぐに穂積臣押山と大伴大連金村が百済から賄賂を受けていた受けたという噂が広がり、その後、大伴金村は、物部尾輿から朝鮮半島政策の失敗を弾劾されて失脚しました。

  • 大化の改新

    皇極天皇6年(645年)6月12日、飛鳥板蓋宮において中大兄皇子や中臣鎌足らが蘇我入鹿を暗殺する「乙巳の変」が生じ、ここから「大化の改新」が始まります。

    談山神社所蔵『多武峰縁起絵巻』

    新たに即位した孝徳天皇は、大化元年(645年)8月5日、東国に国司を派遣し、戸籍の作成、田地の調査などを命じましたが、その際、国司が民衆から「貨賄」を受け取ることを禁止しました。

    凡そ国家の所有る公民、大きに小きに所領れる人衆を、汝等任に之りて、皆戸籍を作り、及田畝を校へよ。… 他の貨賄を取りて、民を貧苦きに致さしむること得じ。… 判官より以下、他の貨賄を取らば、二倍して徴り、遂に軽さ重さを以ちて罪を科せむ。

    【現代語訳】

    およそ国家のすべての公民と、大小の豪族所領の衆人について、お前たちが任地に赴いて、みな戸籍を作り、また田畑を検校せよ。… 他人から賄賂を取って人民を貧窮させてはならない。… 判官以下は、他人から賄賂を取ったなら、二倍を徴収し、さらにその軽重によって罪を科する。(新編日本古典文学全集「日本書紀③」小学館1998から引用)

    【チェシャ猫のひとりごと】孝徳天皇は、このように国司を東国に派遣し、戸籍の作成田地の調査などを行わせましたが、国司らが民衆から賄賂を受け取って私腹を肥やすことを禁止しました。その後、大化2年(646年)3月には、この詔に反して民衆から賄賂を受け取った国司のことが孝徳天皇に報告されています。「穂積臣咋が犯したことは、人民に戸ごとに物を要求し、悔いて返しましたが、すべてを返したわけではありません。その次官である富制臣・巨勢臣紫檀二人の過失はその上官を正さなかったことです。すべてこれより下位の官人もみな過失があります。」賄賂を受け取った国司のみならず、それを止めなかった部下の役人らも責任を問われていることは興味深いです。


  • 聖徳太子の「十七条憲法」

    聖徳太子(厩戸皇子)は、推古天皇12年(604年)4月3日、「十七条憲法」を制定しました。この「憲法」は、役人の心得のような内容ですが、その第5条に訴訟を担当する者が賄賂を受け取ることを禁止することが定められています。

    五に曰く、(むさぼり)を絶ち欲を棄てて、(あきらか)に訴訟を(わきまえ)めよ。其れ百姓の訴、一日に千事あり。一日すら尚(しか)り、况や歳を累ねてをや。(このころ)訟を治むる者、利を得ては常とし、賄を見ては(ことわりまを)すを聴く。便ち財有る者の訟は、石をもちて水に投ぐるが如く、乏しき者の訴は、水をもちて石を投ぐるに以れり。是を以ちて、貧民は所由(せむすべ)を知らず、臣道亦於焉に()くと。

    【現代語訳】

    五にいう、食を貪らず、物欲を棄てて、公明に訴訟を裁け。人民の訴えは、1日に千件ある。1日でもそうであるから、まして年を重ねると、なおさら多くなる。近頃、訴訟を裁く者は、利益を得るのが普通になり、賄賂を見てから申し立てを聞く。財ある者の訴えは、石を水に投げ込むようなもので必ず通り、貧しい者の訴えは、水を石に投げかけるようなもので、受け入れられることはない。それでは、貧しい民は、なすすべもなく、臣としての道もまた、欠けることとなろうと。

    (新編日本古典文学全集「日本書紀②」小学館1996から引用)

    聖徳太子二王子像

     

    【チェシャ猫のひとりごと】現在の日本では、訴訟に関して賄賂を贈るなど考えられないことですが、「司法における汚職(Judicial corruption)」は古くから大きな問題であり、聖徳太子の時代にも「司法における汚職」が蔓延していたんでしょうね。現在でも汚職度の高い国では、「司法における汚職」がしばしば深刻な社会問題となっております。例えば、2012年、インドネシアにおいて、電線メーカー「オーナンバ」(大阪)の現地法人の社長が、労使紛争で裁判官に有利な判決を言い渡してもらうために2億ルピア(約170万円)の賄賂を贈った疑いで逮捕され、拘禁刑3年、罰金2億ルピアの刑に処せられました。インドネシアの弁護士に聞いてみると、同国では「司法における汚職」が深刻な問題となっており、地裁、高裁、最高裁で賄賂の金額の「相場」が異なるらしいです。